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相撲力士情報 
正代

正代

力士名
正代 直也(しょうだい なおや)
所属部屋
時津風部屋
本名
正代 直也
しこ名履歴
正代
番付
西前頭十枚目
生年月日
1991/11/05
出身地
熊本県宇土市
身長
183.0 cm
体重
167.0 kg
得意技
右四つ・寄り

その他の情報

熊本県宇土市出身で時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長183cm、体重167kg、血液型はA型。得意技は右四つ、寄り。最高位は東大関。

3500gの体重で生まれ、乳児期には母親の両方の乳を吸い尽くしても母乳が飲み足りず泣き止まないほど食欲旺盛であった。生後11ヶ月で歩き回るなど成長が速く、1歳で1升の餅を担いだ。幼少期の大好物は祖母の作る煮物であった

正代が宇土小学校1年生の頃に公園で相撲を取って遊んでいたところ、宇土少年相撲クラブの監督にその才能を見出されて道場に通うようになった。正代にしてみれば見知らぬ人物にいきなり道場に車で連れて行かれたというものであり、後にこの時のことを半ば無理やりであったと述懐している。最初は遊び感覚であったが、学年が上がるにつれて稽古は本格化した。小学5年生でわんぱく相撲の全国大会に出場し、鶴城中学校2年生で交代選手として全中の団体優勝メンバーとなる。熊本農業高校3年生では国体相撲少年の部で優勝した

東京農業大学国際食料情報学部国際農業開発学科に進学すると、1年生の時には「もう帰りたい」と家族に泣き言を言ったものの、2年生の頃から弱音を吐かなくなった。2年生で学生横綱となり、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得したが、大学卒業を優先したため、タイトル獲得から1年間の期限がある幕下付出資格は失効した。3年次には全日本相撲選手権大会の決勝に進出したが、遠藤聖大(後の幕内・遠藤)に敗れてアマチュア横綱のタイトルは獲得できず、4年次も幕下付出の資格を得る主要タイトルを取ることはできなかった。

主要タイトルを逃したことについては、学業を疎かにできなかったためと後に明かしている。1年生の時は角界入りを現実的に思い描いてはいなかったが、豊ノ島に「体もできているし、プロでもやっていけるよ」と声を掛けられた。角界入りを考え始めたのは大学4年の夏からであり、この頃教育実習に行ったが自分は教師に向かないと感じたことがその理由となった。2週間の教育実習で10kg痩せるなど苦労し、本人はこの体験を「20数年間の人生の中で一番大変な思いをした期間だったのかもしれませんね」と2017年1月場所前のインタビューの中で振り返っている。稽古面では東京農業大学相撲部恒例の、毎年3月に行われる大阪での時津風部屋との合同春合宿で力を付け、プロの世界を知った

大学卒業後は東京農業大学相撲部と繋がりの深い時津風部屋に入門して、2014年3月場所で初土俵。幕下付出資格を失効したため前相撲スタートとなったが、5日目の前相撲2番目で芝に敗れている。しかし、同じ5日目にはもう1番組まれてこの取組には勝ったため、2勝1敗で一番出世の最後の枠に滑り込んだ。翌5月場所は初めて番付に名前が載り、5日目(3番相撲)には苦手の芝に初めて勝利すると、そのまま7戦全勝として序ノ口優勝を決めた。序二段昇格の7月場所では11日目(6番相撲)で貴源治に、三段目昇格の9月場所では9日目(5番相撲)で芝に敗れ、幕下昇進の11月場所でも5日目(3番相撲)、7日目(4番相撲)で肥後嵐、朝天舞に連敗したが、幕下中位で迎えた2015年1月場所では蜂窩織炎や下痢など体調不良に悩まされながらも、13日目(7番相撲)で場所後に十両昇進が決まった石浦に勝って7戦全勝となり、幕下優勝を決めた

翌3月場所からは関取を伺う幕下上位の地位で3場所連続で勝ち越し、負け越し知らずのまま、同年7月場所後の番付編成会議で、9月場所での新十両昇進が決定した。熊本県からの新十両は、2013年11月場所の肥後ノ城以来。16代時津風が育てた初の子飼い関取。なお四股名について、時津風親方は正代を「いい名前。おかしくない」と話しており、このまま本名を四股名にした

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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