相撲部屋情報 
時津風部屋

時津風部屋

部屋名
時津風部屋
師匠
時津風 正博 (ときつかぜ)
しこ名
前頭三枚目 時津海 (ときつうみ)
所属力士数
17 名
主要力士

正代

豊山

公式ページ
http://www.tokitsukazebeya.jp/

住所

日本、〒130-0026 東京都墨田区両国3丁目15−4

その他の情報

立浪部屋に所属する横綱・双葉山は、69連勝、5場所連続全勝優勝などの輝かしい実績が評価されて現役力士のまま弟子の育成ができる二枚鑑札を許可され、現役の横綱でいるうちに弟子の育成をしたいと志した双葉山は、1941年(昭和16年)5月に立浪部屋から10人の内弟子を連れて独立、双葉山相撲道場を設立した。この際に、当時粂川部屋を開いていた5代粂川(元大関・鏡岩)は、自らの弟子20人全員を双葉山に譲り、自らも双葉山相撲道場の部屋付き親方となった。

また、1943年(昭和18年)5月には、荒汐部屋、甲山部屋、二十山部屋が双葉山相撲道場の傘下に入った。

双葉山は1945年(昭和20年)11月場所限りで現役を引退して年寄・12代時津風を襲名し、同時に双葉山相撲道場を時津風部屋と改称した。ここに江戸時代以来250年の伝統を持つ名門である伊勢ノ海部屋と、双葉山相撲道場に合併されてから再興された井筒部屋が合流して時津風一門が形成された。

その後、粂川部屋から譲り受けた鏡里が1953年(昭和28年)1月場所後に第42代横綱に、双葉山の二枚鑑札時代からの弟子である大内山が大関へ昇進し、双葉山が12代時津風を襲名して以降には北葉山と豊山の2人が大関へ昇進した。

また、12代は1957(昭和32年)年5月に第3代日本相撲協会理事長に就任した。一代で時津風部屋を大部屋に飛躍させたことは、明治期の角聖・常陸山の出羽海部屋以来の急激な発展と評された。

1964年(昭和39年)には錦島部屋を吸収した。1968年(昭和43年)12月に12代が現職理事長のまま逝去すると、部屋付き親方である13代立田川(元横綱・鏡里)が一時的に13代時津風を襲名したが、その後、12代が後継者に11代錦島(元大関・豊山)を指名していたとの遺言の存在が明らかになった。これにより11代錦島が14代時津風を襲名して部屋の師匠に就任し、13代は年寄・13代立田川を再び襲名して10代立田山(元大関・大内山)などの親方だけを連れて弟子は1人も連れずに、1971年(昭和46年)に分家独立する形で立田川部屋を設立した。

14代(元大関・豊山)は関脇・蔵間や、小結・豊山、大潮、双津竜、大豊、時津海など多くの関取を育て上げた。また、14代は現役引退からわずか2年後の1970年(昭和45年)2月に32歳の若さで日本相撲協会理事に選出され、1998年(平成10年)からは第8代日本相撲協会理事長を2期4年務めた。また、開始時期は不明であるが、生活習慣病等の予防のため角界で珍しい1日3食制度を導入した。

2002年(平成14年)8月に14代が定年退職を迎えたため、部屋付き親方である13代錦島(元小結・双津竜)が15代時津風を襲名して部屋を継承した。その後、14代の時代に入門してきた豊ノ島と時天空が幕内へ昇進した。15代は弟子に「時(津)」「豊」「双」という字を含む四股名を付けることが多かった。

しかし、2007年(平成19年)6月に起こった時津風部屋力士暴行死事件の責任を問われる形で、同年10月5日に15代が日本相撲協会を解雇されたため、同年10月9日に部屋の幕内力士である時津海が急遽現役を引退して、年寄・16代時津風を襲名して部屋の師匠に就任した。16代の継承後は16代の直弟子である正代が2020年(令和2年)に大関に昇進したほか、15代が解雇される前に入門してきた土佐豊と双大竜、直弟子の豊山が幕内へ昇進している。なお、2020年(令和2年)7月には師匠のパワハラ問題で閉鎖になった中川部屋から、師匠だった15代中川と所属力士のうち2人を受け入れた。

14代および16代時津風の母校である東京農業大学相撲部は時津風部屋でも稽古を行うことがあるため、卒業後に角界入りする者はほとんどが時津風部屋に入門している。実際に2人の現役関取経験力士は東京農大の出身である。

部屋には現在でも双葉山相撲道場の看板が掲げられている。現在までに、立田川部屋(現在は陸奥部屋に合併)・湊部屋・式秀部屋・荒汐部屋が分家独立を果たしている。

ウィキペディア(Wikipedia)より

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