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石川県七尾市出身の高田川部屋所属の現役大相撲力士。本名は達 綾哉(たつ りょうや)。身長193cm、体重159kg、血液型はO型。最高位は東前頭3枚目(2020年11月場所)。得意手は突き、押し。父方の遠縁は元横綱・輪島大士。目標とする力士は若の里。
トラック運転手の父、兄1人と姉1人の3人きょうだいの末っ子として誕生した。生まれた頃には普通の体格だったが幼稚園時代には「これ以上大きくなったら、制服がなくなる」と言われ、既製の制服の最大サイズがきつくなっても着ているほどであった。七尾市立石崎小学校1年生の頃から相撲を始めており、同じ穴水少年相撲教室の門下生であった遠藤の4学年後輩にあたる。小学校卒業後は金沢市立西南部中学校へ入学したが、これは相撲を続けるために親元を離れて相撲部のある中学校に進学したという形であった。炎鵬とは同じ中学校の同期である。中学1年時には183cm、108kgに成長。3年時の全国都道府県中学生相撲選手権大会の団体と個人を制した。2年時の新人戦で個人優勝したが、これは急に祖母が死去した中での出来事であり、優勝を決めた際に達は大泣きしていたと伝わる。
2010年3月6日の新弟子検査で193cm、145kgを記録し、大物ルーキーとして将来を期待され、達本人は入門直後に「7〜8年で横綱になりたい」と力強く言い切った。足のサイズもこの時点で32cmに達しており、通販でないと靴が手に入らなかった。強豪校からの勧誘のあるなか「1日も早く横綱になりたい」と入門し、新弟子検査を控えた時期には部屋の稽古場で三段目力士と互角に渡り合い、師匠の高田川親方は「しこ、てっぽうの音が違う。骨から出している」と評した。
2010年3月場所で初土俵を踏み、前相撲でのデビュー戦で圧勝し、そのまま所要8場所で幕下に昇進。2012年1月場所は琴禮と6勝1敗同士で優勝決定戦を行うも敗れてしまい、初の各段優勝とはならなかった。同年9月には西幕下11枚目まで最高位を更新するが、それから1年余りは概ね幕下中位から下位を推移するなど足踏みを余儀なくされた。幕下で3年間足踏みしていた時期については十両昇進が確実となった時に「自分は関取になれないんじゃないかと思った」と達は語っている。3場所連続で負け越した際にはその内2場所で給金相撲を連続で落として負け越したこともあって「このまま一生勝ち越せないんじゃないか」と自棄になることもあったが、高田川から初心に戻るよう助言を受け、基本運動を徹底的に繰り返したことで立ち直った。その後2014年5月場所は西幕下9枚目まで最高位を更新して4勝3敗、続く7月場所はさらに東幕下7枚目まで地位を上げて5勝2敗とした。翌9月場所は西幕下3枚目の地位で土俵に上がり、この場所の7番相撲で十両残留をかけていた明瀬山から白星を挙げて4勝3敗として場所を終えた。2014年9月場所後の番付編成会議ではこの成績が評価されて達の11月場所での新十両昇進が決定した。
十両昇進と同時に四股名を輝 大士へと改名した。「輝」の名は、2015年3月14日に地元石川県まで延伸開業する北陸新幹線で、東京駅と金沢駅を結ぶ最速列車として設定される「かがやき」に因んでおり、「大士」は親戚である元横綱の輪島大士にあやかった。輪島の下の名は「ひろし」と読むが、高田川親方は「たいし」と読むと勘違いしており、輪島本人に報告した際にもその指摘がなかったため高田川親方がそのまま届けを出し、四股名は「たいし」となった。石川県からの新十両は、2013年7月場所の遠藤以来戦後17人目。この場所は11日目に勝ち越しを果たすなど好調であり、場所を10勝5敗の好成績で終えた。2015年は丸1年間十両に定着したが、少しずつ番付を上昇させて2016年1月場所で新入幕を果たした。
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