相撲部屋情報 
二所ノ関部屋

二所ノ関部屋

部屋名
二所ノ関部屋
師匠
二所ノ関 寛 (にしょのせき)
しこ名
横綱 稀勢の里 (きせのさと)
所属力士数
17 名
主要力士

大の里

白熊

公式ページ
https://www.nishonosekibeya.net/

住所

茨城県稲敷郡阿見町荒川本郷139-1

その他の情報

1987年(昭和62年)7月場所に現役を引退し、以降は二子山部屋の部屋付き親方となっていた年寄・9代松ヶ根(元大関・若嶋津)が、1990年(平成2年)2月18日に内弟子2人を連れて二子山部屋から分家独立する形で松ヶ根部屋を創設した。

1999年3月場所に新十両へ昇進した若孜を最初として、一時期は4人の関取を擁していたが、2006年11月場所に春ノ山が引退した後からは関取不在の状態が続いた。その後、2010年5月場所において松谷(現・松鳳山)が新十両へ昇進し、松鳳山は2013年1月場所に部屋初の三役力士となった。

2013年1月28日には閉鎖された旧・二所ノ関部屋から10代二所ノ関(元関脇・金剛)ら年寄3人・行司1人・床山1人を受け入れた。2014年11月24日には片男波部屋から18代放駒(元関脇・玉乃島)と11代二所ノ関(元幕内・玉力道)が移籍して部屋付き親方となった。

2014年12月1日、9代松ヶ根と11代二所ノ関が名跡交換を行い、同日付で部屋名は二所ノ関部屋に改められた。「二所ノ関部屋」は二所ノ関一門を代表する部屋の名前であり、2013年1月に旧二所ノ関部屋が閉鎖されて以降、一門内では二所ノ関部屋の復活を望む意見があったことが、この部屋名改称につながった。部屋名変更に伴い、松ヶ根部屋に所属していた12代二所ノ関を含む年寄5人と松鳳山ら所属力士12人・行司2人・呼出2人・床山2人はそのまま二所ノ関部屋の所属となった。部屋の施設も引き続き松ヶ根部屋のものを使用している。

2021年12月19日、12代二所ノ関が2022年1月に停年(定年)を迎えることに伴い、18代放駒が部屋を継承して2022年1月場所から名称が放駒部屋へ改称される予定であると報じられた。二所ノ関の名跡は荒磯部屋の師匠である16代荒磯が継承し、2022年1月場所からは同部屋が新・二所ノ関部屋へ改称されるとも報じられた。

2022年(令和4年)2月7日、同日付で閉鎖された尾車部屋から、13代中村(元関脇・嘉風)と幕内経験者の幕下・友風ら力士8人、呼出1人が転籍してきた。その友風が2023年(令和5年)3月場所で再十両昇進したため二所ノ関部屋から初めての関取誕生、同年11月場所で再入幕したため二所ノ関部屋から初めての幕内力士誕生となった。さらに2023年9月場所で高橋(現・白熊)と大の里が新十両となり、13代二所ノ関の下で入門した力士で初めての関取誕生となった。

2022年(令和4年)6月5日、茨城県稲敷郡阿見町で建設が進められていた部屋施設が完成し、部屋開きが行われた。この建物には土俵を2面設置したほか、屋外にはバスケットボールコートや鉄棒を設置しており、これらの設備もトレーニングの一環として活用されている。茨城県に部屋を設けたのは、地元であることと、支援が大きく、衣食住の環境が良いことを挙げている

2024年(令和6年)5月30日、日本相撲協会理事会は、同年6月1日付で13代中村が独立して中村部屋を新設することを承認した。幕内・友風、前日に新十両が決定した幕下・嘉陽ら力士8人と呼出・床山各1人が中村部屋に転籍する。中村部屋に転籍する力士は、2022年に尾車部屋から13代中村と共に二所ノ関部屋へ転籍した力士が中心だが、二所ノ関部屋で初土俵を踏んだ力士からも前述した嘉陽ら2人が転籍する一方で、旧尾車部屋から転籍した力士のうち麒麟龍は二所ノ関部屋に残留することになった

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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