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幼少期は母親の方針で激しいスポーツを禁止されていたが、格闘技を見ることが好きでUFCや大相撲をテレビやインターネットでよく観戦していた。飛び級でウランバートルの高校に通っていた14歳の時に柔道とブフ(モンゴル相撲)を始めると、1年目からブフでナーダム少年の部4位に入賞するなど格闘技の世界で実績を残し始めた。この頃は柔道で日本の高校に留学することを考えていたが、日本の新名学園旭丘高等学校がウランバートルで実施した相撲部の留学生選抜試験に成り行きで参加したところ合格したため、柔道ではなく相撲での日本留学が決定した。同高校の留学1期生である。高校時代は2年時に全国高校選抜大会3位、3年時に関東大会無差別級3位の実績を残した。日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科に進学すると、2年時に全日本選手権ベスト8、4年時に全国学生選手権ベスト16などの実績を残した。
大学卒業後は高校時代から目指していた大相撲入りを希望し、入門先が決まらなければ大学に残って相撲浪人になることも辞さない覚悟であったが、卒業直前に大島部屋への入門が決定し、研修期間と興行ビザ取得待ちの期間を経て2023年11月場所で初土俵を踏んだ。付出資格を持っていなかったため前相撲でのデビューとなったが、2024年1月場所で初めて番付に名前が載ってから5場所連続で6勝以上の好成績。三段目以下の各段は全て1場所で通過し、特に三段目は7戦全勝で優勝を飾っている。同年11月場所では東幕下8枚目まで番付を上げたが、この場所は入門以来初の負け越しとなった。東幕下16枚目に番付を下げた2025年1月場所からは4場所連続で勝ち越している。2025年7月場所は東幕下筆頭の地位で11日目に勝ち越し、最終的に5勝2敗で取り終えた。場所後に開かれた番付編成会議で、翌9月場所での新十両昇進が決定した。6代大島の弟子からは初めての新十両力士になった。
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