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タイ出身の母と日本人の父との長男として生まれたが、父は生田目が小学生の時に家を出て以降、生活が困窮し、また母は日本語が苦手であったこともあり心身ともに不調となり生田目は14歳から栃木県さくら市の養護施設に預けられた。
養護施設に預けられてからも母は定期的に訪問に訪れていた。中学時代は野球部と吹奏楽部に所属したほか、水泳や卓球にも取り組んだが、小学生の時に栃木県のわんぱく相撲で2位となった以降は中学校の頃まで本格的に相撲に取り組んだことは無かった。しかし、中学校の教師の父親が栃木県立矢板高等学校の相撲部監督という縁もあり、同高校進学後は相撲部に入部し、本格的に相撲を始めた。
1年時に大相撲の14代二子山(元大関・雅山)から勧誘を受けて大相撲入りを決意。1年時から団体戦で大将を任され、2、3年時には全国高校総体個人戦に出場。2年時には関東高等学校選抜相撲大会で準優勝、国体にも2年連続で出場した。もっとも十両昇進時の報道によると、本人は実績が無い選手だと自己評価していたとのこと。
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