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祖父が相撲好きだった影響を幼少期から受けており、町田市立小山田南小学校4年次に市のわんぱく相撲大会で準優勝したことを機に地元の相撲道場(立川錬成館)に通い始めた。相撲を始めた当初は全国大会で通用するほどの実力を有していないという理由で大相撲の力士になることは考えていなかったが、町田市立小山田中学校3年次に全国中学校相撲選手権大会で個人3位、全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人ベスト8となり、全国大会でも実績を残すようになった。
中学校卒業後は、埼玉栄高校の相撲部監督から勧誘を受けていたため同高校普通科総合進学コースに進学。同学年の安彦剣太郎(剣翔)、佐々木大輔(佐々木山)は高校の同期であり、3年次には彼らと共に全国高等学校総合体育大会相撲競技大会(高校総体)団体優勝、選抜相撲宇佐大会団体2位、個人3位などの実績を残した。高校卒業後は日本大学商学部商業学科に進学。日大の同期には安彦や川端翔伍(大翔丸)らがいる。1年次から団体戦レギュラーとなり、東日本学生相撲選手権大会の団体優勝や、全国学生相撲選手権大会での団体準優勝を経験した。しかし2年次に早くもレギュラー落ちを経験したことで相撲に対する熱意が薄れてしまい、4年次では最早タイトルとは完全に無縁となった。そのような状況で国体に埼玉県代表として出場した際、大会自体は予選落ちだったが、相撲を取ることが楽しく思えたことで、大学卒業後の大相撲入りを決意した。
入門先には、高校と大学の2年先輩である英乃海が所属している木瀬部屋を選び、2014年3月場所で初土俵を踏んだ。追手風部屋も候補に入れたが「大学の同期(安彦と川端)が一緒の部屋にいると甘えが出る」とこの案は立ち消えになった。初土俵同期生には同部屋の髙立のほか、正代、大翔丸(幕下付出入門)らがいる。入門に当たっては目標の力士として、同郷の出身である北太樹の名を挙げた。前相撲では正代にも勝って2勝土付かずで一番出世。入門直後に左膝の負傷があったものの、同年7月場所では髙木(のちの十両髙立)との同部屋優勝決定戦を制して序二段優勝を飾った。
三段目までの各段は1場所で通過し、同年11月場所で新幕下に昇進以降は幕下の地位に定着した。2015年11月場所では西幕下31枚目で7戦全勝とし、同部屋の弟弟子である宇良との優勝決定戦も制して幕下優勝を決めた。翌2016年1月場所では十両が目前の東幕下3枚目まで番付を上げたが負け越し、その後も十両が目前に迫った幕下5枚目以内の番付では中々勝ち越すことが出来なかった。
2020年7月場所は場所前の稽古で眼窩底骨折をして全休。手術を受けて翌9月場所で復帰したが、その時から英乃海の付け人になり、英乃海から激励を受けたことで、これが関取昇進のラストチャンスと奮起。2021年11月場所は西幕下2枚目と勝ち越せば関取昇進が見える地位で土俵に上がり、5勝2敗として幕下5枚目以上の地位では初めて勝ち越した。これにより十両昇進が大きく近づいたことについては、新十両にもしかしたら昇進できないのではと不安を明かし、「同級生の活躍を見て悔しくて見たくなかった」と同学年の横綱照ノ富士や大関正代に対する思いを語った。
場所後の12月1日に行われた番付編成会議で正式に新十両昇進が決定し、四股名を「紫雷」に改名。この四股名は入門から約2年が経過した頃に後援者から提案されていたものであり、四字熟語の「紫電一閃」に由来しているが、字面を考慮して「電」は「雷」に変えている。なお、町田市からの関取昇進は北太樹以来14年半ぶり史上2人目。
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