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相撲力士情報 
北はり磨

北はり磨

力士名
北はり磨 聖也(きたはりま せいや)
所属部屋
山響部屋
本名
嶋田 聖也
しこ名履歴
嶋田 → 北はり磨
番付
東十両十四枚目
生年月日
1986/07/28
出身地
兵庫県たつの市
身長
182.0 cm
体重
126.0 kg
得意技
突き・押し

その他の情報

北磻磨 聖也(きたはりま せいや、1986年7月28日 – )は、兵庫県龍野市(現:たつの市)出身で山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は嶋田 聖也(しまだ せいや)。
身長182cm、体重124kg、血液型O型、得意手は突き、押し。最高位は東前頭15枚目(2016年7月場所)。同部屋の龍野湖は実弟(2013年1月場所初土俵)。いわゆる「花のロクイチ組」の1人

皮革業を営む家庭の次男として生まれ、保育園児の時から揖保小学校4年次まで柔道を経験。小学校4年の春にわんぱく相撲の西播磨大会に出場して優勝し、兵庫県大会、全国大会まで進んだのを機に相撲へ転向することを決め、新日本製鐵広畑相撲教室に通い始める。チームメイトには高砂市出身で大学卒業後に境川部屋へ入門した同級生の妙義龍がいた。小学校6年次まで毎年わんぱく相撲の全国大会に出場し、中学校進学後は2・3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会への出場を果たしている。

当初高校進学志望だった嶋田少年であったが、3年時の都道府県大会出場時に北の湖部屋に泊まり、稽古を見たことで「この世界でやってみたい」と気持ちが変わり、北の湖が「プロを目指すには早い方がいい」と説得したことで入門を決意。中学校を卒業後、当時通っていた相撲教室の先輩である厳雄が所属している縁もあって当時の北の湖部屋に入門し、2002年3月場所で初土俵を踏んだ。同期には、同部屋の鳰の湖の他、稀勢の里、片山らがいる。相撲教習所時代の北磻磨について同期の稀勢の里は「教習所時代、とても強かった。見た目は若いけど、同い年だから」と、北磻磨が新入幕した頃に話していた。初土俵後、約3年かかって幕下に昇進した。しかし、100kg余りの軽量のためなかなか幕下に定着できず、低迷した。

2008年3月場所に本名の嶋田から北磻磨に四股名を変更した。この四股名は、「北」は師匠の北の湖の文字をとり、「磻磨」は出身地であるたつの市が入っていた播磨国からきたもの。これ以降、幕下に定着するようになり、着実に番付を上げていった。2011年7月場所から幕下上位で3場所連続で勝ち越しを決め十両昇進を決めた。同郷(たつの市出身)、同じ出羽海一門、師匠の兄弟弟子にあたる待乳山(元小結・播竜山)とは十両昇進以前に特に面識を持っておらず、声を掛けてもらったのも自分の相撲を見てもらうようになったのも十両昇進後からであるという

2012年は6場所すべてを十両で過ごしたが、うち2場所で勝ち越しを果たすことがやっとであり、2013年1月場所に幕下陥落を喫する。2014年1月場所は西幕下4枚目の地位で5勝2敗の成績を挙げ、これで4度目の十両昇進を果たしたが、翌3月場所は西十両14枚目で千秋楽に負け越しが決定し、再び幕下へと陥落した。同年9月場所で5度目の十両昇進をすると2場所連続の勝ち越しで2015年1月場所は15場所ぶりに自己最高位を更新。この場所は負け越したが9月場所でももう一度自己最高位を更新し、この年は1年間十両を保った。本場所中の同年11月20日に師匠の北の湖を亡くした11月場所では千秋楽に勝ち越した。

2016年は3月場所、5月場所と連続で勝ち越して、7月場所で新入幕。初土俵から所要85場所での新入幕は、史上9位タイのスロー出世。新入幕会見では「15歳からこの世界に入っているのに高校、大学出身者よりも昇進が遅く、ずっと悔しかった。同じ地位になり、いい相撲が取りたい」とコメントした。この場所は6勝9敗と負け越し、1場所で十両に逆戻りとなったが「悪いとことばかり。いいところは特にないけど、1場所で戻ります」と幕内復帰に意欲を示した

しかし、幕内復帰どころか首の痛みに悩まされて十両陥落後は大きい負け越しが2場所続き、2017年1月場所では東幕下筆頭に陥落した。しかし、この場所では首の痛みが無くなるなど体調が回復したことで本来の相撲が戻り、5勝2敗の好成績で1場所で十両に復帰した。しかし、西十両11枚目だった3月場所は4勝11敗の大敗だったため、1場所で幕下へ逆戻りとなった。5月場所・7月場所は幕下で連続で勝ち越し、9月場所では7回目の十両昇進となるが、7度の十両昇進は、同時に再十両が決まった希善龍らと並び、史上2位タイの記録である。東十両12枚目で迎えた9月場所は、初日からの4連敗を含め、中日までに1勝7敗と苦しんだ。そこからやや持ち直したが、結局5勝10敗と大敗を喫し、またも1場所で幕下に落ちることになった。11月場所は東幕下2枚目の地位で迎えたが、序盤の不調が響いて3勝4敗と負け越した。幕下の地位で負け越すのはおよそ3年ぶりになる。

2018年は年間を通して幕下での土俵だった。3場所連続の負け越しの影響もあって、11月場所は西幕下30枚目まで番付を落としたが、この場所は4勝3敗として締めくくった。2019年は幕下中位での土俵が続き、一度も十両昇進の可能性のある15枚目以内に戻ることはできなかったが、11月場所では東幕下16枚目の地位で勝ち越し、翌場所での15枚目以内復帰を確実とするなど意地も見せた。

2020年9月場所では西幕下3枚目まで番付を戻し、この場所では千秋楽の貴源治との入れ換え戦を制して5勝目をあげ、実に17場所ぶり8回目の十両昇進が決定した。

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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