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石川県鳳珠郡穴水町出身で、追手風部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長183cm、体重148kg、血液型はAB型。得意手は左四つ、突き、押し。最高位は西小結(2018年5月場所、2019年9月場所-11月場所、 2020年3月場所、2020年9月場所)。締め込みは紫色、鮮やかな赤色、金色の3本を持っている。
幼少期の遠藤はすぐに拗ねる子で父親もそんな遠藤に礼儀や忍耐を身につけさせる目的で相撲教室に参加させた。これが遠藤の相撲人生の始まりであった。当時の心境を遠藤は「初めは断ったけど3日連続で連れて行かれてあきらめた。嫌々始めたというのが本当のところです」と苦笑しながら振り返る。相撲が好きになったのは小学5年生の頃であり、2002年の金沢巡業で当時大関だった朝青龍に会って、スピードあふれる豪快な相撲にむき出しの闘争心、多彩な技に「面白い」と感じた。心をわしづかみされ「録画してまで見るようになった」という。ただ一言、「強い」とその横綱像を語っている。そんな遠藤が転機を迎えたのは小学6年の時であり、珠洲市で開かれた大会で敗退して泣いている遠藤の姿を見た上野に「泣くなら明日から来なくていい」と大声で叱られて以降遠藤は厳しい稽古に真剣に向き合い、相撲の基礎を徹底的に吸収するようになる。全国レベルの大会でも結果を出し始め、人前で涙を見せることはなくなった。小学生の頃は相撲を習う傍らでバスケットボール部にも所属していたといい、本人が後年『スラムダンク』に影響されていたことや、家の前にあったゴールリングの前で毎日暗くなるまで練習していたことを話している。
小学校卒業後、地元の穴水町を始めとして能登地方の中学・高校の多くで相撲部が休部状態に陥っているという事情から相撲を続けるために12歳で親元を離れて金沢市に転住。監督の家に下宿しながら、小学校時代も週7回稽古していたのと同じように、相撲ばかりの毎日を過ごした。金沢市立西南部中学校は遠藤が入学した当初にようやく同好会から部に昇格したばかりであった。
金沢学院東高校相撲部時代は団体・個人共に活躍し、3年次に高校相撲金沢大会と選抜高校相撲十和田大会でそれぞれ優勝した。3年時のインターハイ個人戦1回戦では立合いで相手と呼吸が合わず計6度の「待った」を行い、立合いに計10分を所要したことで再三注意され、最後は「次に待ったをした方が負け」と異例の宣告を受けた。以降決して「待った」をしないよう心掛けるようになった。
高校卒業後は日本大学経済学部経済学科に進み、1年時から団体戦レギュラーとなった。19歳の時には食事に訪れた店で偶然朝青龍と対面し、「いい体をしているな。プロに入るのか? 頑張れよ」と声を掛けられた。3年時の後半は怪我に苦しみ右膝の靭帯損傷により半年近くまともな稽古ができず、手術を避けながら稽古土俵の外で四股を踏むしかない時期を過ごしたがこれを乗り越えて4年次には団体戦の主将を務めた。個人戦では全日本相撲選手権大会優勝(アマチュア横綱)および国体相撲成年個人の部A優勝(国体横綱)という2つのビッグタイトルを取得した。これにより、市原孝行(後の幕内力士)以来史上2人目となる幕下10枚目格付出の資格も取得することになった。
アマチュア横綱獲得を最後にアマチュア相撲の試合は全て終わり、高校教師やプロ入りといった複数の選択肢から、同郷出身で日大の先輩でもある追手風親方(元幕内・大翔山)が師匠を務める追手風部屋に入門することを選んだ。
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