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相撲力士情報 
阿炎

阿炎

力士名
阿炎 政虎(あび まさとら)
所属部屋
錣山部屋
本名
堀切 洸助
しこ名履歴
堀切 → 阿炎
番付
東前頭三枚目
生年月日
1994/05/04
出身地
埼玉県越谷市
身長
188.0cm cm
体重
154.0kg kg
得意技
突き・押し

その他の情報

埼玉県越谷市出身で、錣山部屋所属の大相撲力士。本名は堀切 洸助(ほりきり こうすけ)。身長188cm、体重154kg、左利き。最高位は西関脇(2022年3月場所-5月場所)。好物はシーフード味のカップ麺。大の喋り好き。

建築関係の自営業を営む両親の下、男2人女2人の4人きょうだいの末っ子として生まれた。幼少の頃から同じ年の子供より頭一つ大きく、よく食べてよく遊ぶ子供であった。性格はきょうだいの中でも一番優しく、幼稚園時代は母がテレビドラマを見て泣いているともらい泣きする一面もあった

兄や姉はスポーツ万能であり、自身も幼少期から運動神経は悪くなかったが、太っていたので走るのは苦手だろうと思っていた両親の配慮で柔道をやらせてもらった。ただ、これは痛いのが嫌なのですぐ辞めてしまった。越谷市のわんぱく相撲では小学1年生、2年生の時に優勝していたが、3年生の時に負けてしまい、悔しかったため草加相撲練修会に入会して力を付けた。当初は相撲が嫌いで特にぶつかり稽古が苦手であったため、ぶつかり稽古の時間になるといつもトイレに逃げ込んでいた。4年生以降、越谷市では選手の層が薄かったため毎年優勝し、わんぱく相撲の全国大会にも出場したが、全国大会ではすぐに負けていた。両親は習字やそろばんと同じ感覚で相撲を始めさせており、無理に続ける必要はないと思っていた。しかし、相撲は嫌いだが仲間には恵まれ、後に入門する錣山部屋の兄弟子となる松本豊(後の彩)に可愛がられていたこともあって相撲はやめなかった。人懐っこい性格なので、大会に行くと他の道場の子供ともすぐ仲良くなり、高西勇人(後の大栄翔)や中村大輝(後の北勝富士)とも小学校時代から仲が良かった

越谷市立大相模中学校進学後は相撲を辞めるつもりであったが、練修会の常光弘泰監督に説得されて嫌々ながら相撲を続けていた。常光は「休んでもいいから、やめるのは待ってください。あの子はきっと化けますから」と家族を説得したという。中学生時代には、2年生の秋に県大会で3位に入賞し、その後の大会でも同学年では敵なしであった選手に勝って優勝した。それ以来相撲が面白くなり、電車で1時間以上かけて少年相撲クラブに出稽古に通うようにもなった。第39回全国中学校相撲選手権大会において、個人戦で3位に入賞した。この大会では初日に予選落ちするだろうと本人は予想しており、開催地の鹿児島の海で泳ごうと水着を用意していたほどであったという

その後、千葉県立流山南高等学校に進学し、相撲部に入部。同校出身の同級生には大翔鵬(追手風部屋所属)がいる。高校総体ではベスト16に輝いたこともある。

高校3年生のとき、第61回選抜高校相撲十和田大会において、個人戦で3位に入賞。ちなみに準決勝で敗れた相手は、イチンノロブ(後の逸ノ城)である。

両親は大学進学を望んでおり、学生相撲で全国優勝を目指してほしいと願っていたが、本人は家業を継ぐと言いだしていた。卒業後、相撲部の監督が錣山と親しいことから錣山部屋に入門。堀切は最初は自分が入門するとは言っていないため、期待させているようで悪い気がしたので両親が錣山と会うのを嫌がっていたが、卒業旅行で大阪に行っていた際に、堀切本人が入門したいと言っているという趣旨の話を父が聞いて、そのまま入門に至ったという

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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