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朝青龍の兄(長兄)であるスガラグチャーの次男として誕生。5歳から柔道を始め、11歳の頃からレスリングを始める。モンゴルの中等教育を卒業後、日本体育大学柏高校(入学当時の校名は柏日体高校。在学中の2016年4月から現校名に改称)からレスリングの選手としてスカウトを受け、日本へ留学した。相撲に自信が無くレスリングで妥協したビャンバスレンに、最初朝青龍は渋々留学を認めたようなものであった。来日当初の体重は66kgしかなかった。
高校1年の5月、授業の一環として両国国技館で相撲を見学した際に相撲に興味を抱き、その後朝青龍と相談し、レスリングを辞めて相撲を始めることを決意する。ビャンバスレンがその意志を180度変えたことに対して朝青龍は困惑して怒ったが、ビャンバスレンに熱意を感じてか朝青龍が学校の上役を説得して相撲部への転部が叶った。
相撲経験はなかったが、アマチュアの大会で好成績を残し、驚くようなスピードで潜在能力や身体能力の高さを見せていく。高校卒業後は立浪部屋へ入門。不祥事で引退した暴れん坊の甥とあってどの部屋も敬遠したが、立浪部屋だけは入門を許可した。後の大関昇進後に師匠は『zakzak』の取材に「よく入ってくれたと思う。入る前から朝青龍は『こいつは大関、横綱になれるから』という話をしていた。何人か候補はいたけど、僕もそうなれると思って選んだというのもある」と明かしている。
入門してからも朝青龍とは何度もメールでやり取りをしており、「自分の力で強くなれ! 引いてはダメ」、「急に太ってはダメ! 怪我をするから」などのアドバイスを朝青龍から受けていた。豊昇龍は、大相撲の力士としての目標として、「叔父さん(朝青龍)みたいに、1番上の横綱になりたい」と語ったが、その返答として朝青龍は「強くなるには、親方の言うことをちゃんと聞きなさい!」と答えたという。
力士になるにあたってモンゴルの実家に一度帰った際「山の上じゃなくて、足の下の石を見ろ」(ビャンバスレン本人は、一歩一歩、地道に歩んでいけ、という意味だろうと捉えていた)というモンゴルのことわざを朝青龍から授けられ、「酒に呑まれるな」とも助言を受けた。
因みに朝青龍の縁から高砂部屋に入ることも考えていたこともあったが、元4代朝潮の高砂(当時)から「部屋を出入り禁止となった朝青龍の甥」ということで拒絶され、これは実現しなかった。
2017年11月1日に新弟子検査を受検、同月12日に合格が発表された。新弟子検査の際に、対戦したい力士として遠藤を挙げている。入門時の体重は100kg程度と、まだ体は完成途上であった。
興行ビザの取得を待って、初土俵は2018年1月場所となった。この場所は、第48代横綱大鵬の孫である納谷(後の王鵬)と共に前相撲を取った。結果は3勝1敗であったが、この1敗はライバルの納谷である。
同年3月場所は、西序ノ口19枚目という番付で先場所の前相撲のときと同様に2戦全勝同士で東序ノ口18枚目の納谷と対戦し敗れ、6勝1敗で終えた。なお、この場所の序ノ口優勝は納谷であった。
同年5月場所は、西序二段42枚目で7戦全勝優勝を遂げた。この場所は納谷との対戦がなく、優勝後のインタビューでは「納谷は強いですよ」と、ライバルの強さを認めた。その上で豊昇龍は「次は絶対に勝つ」と、三度目の正直に燃えていた。
7月場所直前の6月29日には、第69代横綱・白鵬の所属する宮城野部屋へ出稽古にいき、白鵬に稽古をつけてもらった。稽古を終えた豊昇龍は「横綱にぶつかることができて、うれしいです。去年、稽古してもらった後、自分はバーンと強くなってインターハイも準優勝できました」と語った。また、白鵬は「自分も(朝青龍に)稽古をつけてもらったから、今度は(自分がその甥っ子に)稽古をつけてやってね。不思議だね、歴史は繰り返すね。あとは彼次第。」と、次世代のエースにエールを送った。
同年7月場所は、東三段目42枚目で6勝1敗だった。
同年9月場所は、東幕下56枚目という番付で3連勝スタートから3連敗、その後、3勝3敗同士で、前相撲での対戦を含めると同年春場所以来3場所振り3度目となるライバルの東幕下60枚目の納谷と対戦し、勝利し勝ち越しを決め、三度目の正直を果たした。これは、豊昇龍の納谷戦初勝利となった。この取組により、納谷は自身初の負け越しとなり、次の場所では、三段目へ番付を落とす結果となった。
同年11月場所は、東幕下49枚目で6勝1敗だった。この場所は、初土俵以来初めて納谷のいない番付で相撲をとる場所となった。さらに、この場所は、朝青龍と並ぶ初土俵(前相撲を除く)から5場所連続勝ち越しとなった。
2019年1月場所では、西幕下21枚目で5勝2敗とし、幕下上位への昇進が濃厚となった。また、初土俵(前相撲を除く)から6場所連続勝ち越しとなり、叔父の朝青龍を超える記録となった。
同年3月場所では、初の幕下上位となり西幕下7枚目という番付で臨み、徳真鵬に勝ち1勝0敗としたが、前場所で敗れた木﨑海に敗れ、その後、第53代横綱・琴櫻の孫であり、現・佐渡ケ嶽親方の元関脇・琴ノ若の子供である琴鎌谷、琴鎌谷と同じく佐渡ケ嶽部屋の琴太豪に敗れ3連敗となり、1勝3敗となる。しかし、その後3連勝とし4勝3敗となり、初土俵(前相撲を除く)から7場所連続勝ち越しとなった。
同年5月場所では、2連勝した後3連敗したが、その後2連勝し、4勝3敗で勝ち越し。初土俵(前相撲を除く)から8場所連続勝ち越しとなった。
同年7月場所では、十両昇進を目指す西幕下2枚目という番付で臨み、6番目の相撲までで3勝3敗。7番目の相撲では、前場所で勝った玉木(後の朝玉勢)戦で敗れてしまい、自身初の負け越しとなり、序ノ口デビューからの連続勝ち越しは8場所でストップした。7番相撲で負けた際に右の拳を土俵に叩き付けており、朝日新聞の記事で「叔父譲りの勝利への執着心」について触れられた。
東幕下5枚目に番付を下げた同年9月場所では2連勝した後3連敗。しかし、その後2連勝し4勝3敗とし2場所振りの勝ち越しを決めた。十両から幕下に降格する力士が多かったこともあり、場所後の番付編成会議で、翌11月場所での十両昇進が決定した。外国出身では史上68人目、モンゴル出身では史上35人目の十両昇進となった。日本体育大学柏高校からの関取昇進は史上初。十両昇進会見では「しこ名に『関』と付くのでうれしい。すごく気持ちいい」と話した。10月3日にモンゴルに帰国して朝青龍主催の昇進パーティーに出席する予定が示され、豊昇龍は「『上に上がればお前にあげる物がいっぱいある』と言われた」と贈り物に期待を寄せた。また、「叔父さん(元横綱・朝青龍)のいったところまでいく。稽古をして強くなる」と、末は横綱に昇進すると意欲を見せた。
新十両として迎えた11月場所は7勝8敗で終えた。千秋楽の取組後、豊昇龍は「負けても勝っても自分の相撲を取ろうと思っていた。負け越したけど、今日の一番は嬉しい。」と語った。また、負け越しが決まった14日目の取組後に叔父の朝青龍からメールで怒られたことを明かした。さらには、43度目の幕内最高優勝を決めた横綱・白鵬に「優勝おめでとうございます」と直接伝えた際に、白鵬から「また来場所だな」と声をかけられた。初めての15日間を終え、豊昇龍は、「勉強になった。十両は甘くないことが分かった。来場所はしっかりと頑張りたい。」と決意を固めた。
9月場所に新入幕を果たした。新入幕会見では「2桁勝って三賞を取る」と目標を語っていたが、成績は8勝7敗で終え勝ち越したものの、叔父の朝青龍の新入幕9勝には一歩届かなかった。
入幕2場所目の11月場所は7勝8敗で負け越した。
2021年1月場所は初日から5連敗したが、叔父の元横綱・朝青龍の叱咤により6日目から息を吹き返すように14日目まで9連勝した。しかし、千秋楽で阿武咲に敗れ2桁勝利とならず9勝6敗で終えた。
3月場所は4日目まで1勝3敗と負けが先行していたが、5日目から3連勝し7日目の時点で勝ちが先行した。中日で敗れたものの9日目から3連勝し勝ち越しに王手。12日目は敗れたものの13日目に勝ち越し決定した。しかし、14日目以降は負けを喫し8勝7敗で終えた。
5月場所は上位に休場者が多かった関係で4大関と対戦したが、大関の朝乃山を内掛け、正代を外掛けで破る活躍を見せた。14日目に関脇・髙安に敗れ、負け越すも最終的には7勝8敗と一点の負け越しにとどめた。
7月場所は初日から快調な土俵ぶりを見せ、11日目には先場所に引き続き、大関・正代を破り、勝ち越しを決めた。最終的には10勝5敗と自身初の幕内での2桁勝利となり、初の三賞・技能賞を受賞した。
2022年2月4日、協会は豊昇龍が新型コロナウイルスに感染したと発表。
3月場所は新三役となる西小結の地位が与えられ、入門以来初となる部屋頭の地位となった。8日に叔父から電話で「頑張ってくれ。上位の人たちと全員対戦したので、どんな人がどんな相撲を取るか分かってるでしょ。あとは君次第だよ」と激励の言葉を貰った。3月場所は、連敗スタートとなるも、大関・貴景勝に4度目の対戦で初めて勝利するなど、星を盛り返した。7勝7敗でむかえた千秋楽では、3敗で優勝争いに残っていた琴ノ若を下手出し投げで破り、新小結で勝ち越しを決めた。
2023年1月場所は8日目まで6勝2敗だったが、9日目の若元春戦で敗れ、左足関節を捻挫、10日目を休場したが、11日目から再出場した。1月28日に行われた白鵬引退宮城野襲名披露大相撲の引退土俵入りでは露払いを務めた。
3月場所は14日目に4敗を喫して優勝の可能性が消滅するまで優勝争いに加わった。13日目終了時点でこの場所で2桁白星を挙げることが確定し、この場所が大関取りへの起点となるとされた。千秋楽で勝った場合という条件付きで敢闘賞受賞候補に上がったが、出席委員の過半数の得票に至らず受賞を逃した。それでも、千秋楽の取組後に佐渡ヶ嶽審判部長(元関脇・琴ノ若)は、大栄翔、若元春と共に7月場所が大関取りの場所となると明言。9月場所に最大5大関体制となり得るという飽和状態も佐渡ヶ嶽は歓迎する方針を示した。
7月場所前の大関取りに向けた会見では「あんまり気にせず、いつも通りいきたい」と語った。7月場所は9日目に勝ち越しを決めるなど前半戦は絶好調。14日目の若元春戦で「3場所32勝」に到達。そして千秋楽では本割で伯桜鵬を下し、優勝決定戦では北勝富士を下して12勝3敗で初優勝を果たした。この結果、協会審判部が「理事長に臨時理事会の招集を要請する」と明言し、場所後の大関昇進が確実となった。千秋楽勝てばという条件付きで敢闘賞を受賞することになっていたが、勝って受賞を決めた。優勝インタビューでは「うれしさは誰に伝えたいか」というアナウンサーの質問に「1番最初に(師匠の立浪)親方に。その後に叔父さん(元朝青龍)に言いたいです」と答えて場内の大爆笑を誘った。千秋楽一夜明け会見では、朝青龍が「よくやった」と言いながら泣いていたことを明かした。
綱取りの2025年1月場所は、5日目に熱海富士、中日に正代に敗れ、綱取りに向け後がなくなった。そして9日目には平戸海に3敗目を喫し、この場所後の横綱昇進は絶望的となった。同場所は同じく綱取りが話題となった琴櫻も綱取りに失敗しており、また一人横綱であった照ノ富士も引退したため、翌3月場所は1993年1月場所以来の番付上横綱不在場所となるかと思われたが、その後粘り強く連勝を続け、最終的に12勝3敗とした。優勝決定巴戦では金峰山、王鵬に完璧な内容で連勝し、見事に2回目(大関になってからは初めて)の優勝を手にした事で、場所後の横綱昇進に前進した。場所後の1月27日に横綱昇進が横綱審議委員会で議論され、全会一致で推薦を決定。これにより、事実上第74代横綱への昇進が確定、同月29日に開かれた3月場所の番付編成会議と臨時理事会で横綱昇進が決定した。
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