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相撲力士情報 
若隆景

若隆景

力士名
若隆景 渥 (わかたかかげ あつし)
所属部屋
荒汐部屋
本名
大波 渥
しこ名履歴
若隆景
番付
西十両十枚目
生年月日
1994/12/06
出身地
福島県福島市
身長
181.0 cm
体重
130.0 kg
得意技
右四つ・寄り

その他の情報

福島県福島市出身で荒汐部屋所属の現役大相撲力士。本名は大波 渥(おおなみ あつし)。身長181cm、体重130kg、血液型はO型。最高位は東関脇(2022年3月場所-)。得意手は右おっつけ、右四つ、右ハズ左おっつけ。

母方の祖父は小結・若葉山(時津風部屋・12代錣山)、父は幕下・若信夫(立田川部屋)、兄は幕下・若隆元と幕内・若元春という相撲一家に生まれる。母は若葉山の次女である。

福島市方木田にある学校法人みその幼稚園を卒園。 福島市立吉井田小学校1年生から福島県の県北相撲協会で相撲を始めた。小学生時代は、柔道や陸上競技にも打ち込んでいたが、3兄弟の中で一番弱かった。福島市立信夫中学校を卒業するまでは全国大会に出ても1回戦敗退することが多く、全国で実績を残すことは無かった。2010年には2人の兄も進んだ学法福島高校に進学した。

2011年3月11日の東日本大震災で高校の土俵が壊れたこと、福島第一原子力発電所事故の発生で8代荒汐が被爆を心配して次兄の港とともに荒汐部屋に呼び寄せたことから、1ヶ月間、長兄の渡が所属している荒汐部屋で避難生活を送った。高校時代は3年次に全日本ジュニア体重別相撲選手権大会100kg未満級優勝、世界ジュニア相撲選手権大会団体優勝・軽量級2位などの実績を残した

高校時代の恩師である相撲部顧問の二瓶顕人は、地元の相撲教室で若隆景がまだ小学校低学年の時に初めて出会った。「小さくて細くて、かわいかった印象。弱かったですよ」と振り返る一方で、「負けず嫌いははんぱなかった。稽古は一切、手を抜かなかった」と証言する

身体が小さかったため、高校卒業のタイミングで大相撲入りした2人の兄とは違い、自身は大学進学を選び、東洋大学法学部企業法学科に進んだ。東洋大学時代に指導した浜野文雄監督によれば「大学に入ってきた時から、すでに技巧派という印象」だったという。4年次には相撲部副主将となり、2週間前に右足首の靭帯を断裂して手術を受けたばかりの状態で出場した全国学生相撲選手権大会は団体で優勝、個人で準優勝の成績を残し、大相撲の三段目最下位格付出資格を獲得した。東洋大時代に体重を30キロ増やしたが、それでも110キロ余りにすぎず、実業団からの勧誘もあり、就職か角界入りかで悩んでいたが、三段目付出資格を獲得したことで大相撲入りを決意した。学生時代の戦績は2014年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級第3位。2015年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級 優勝。2016年、全日本大学選抜相撲宇和島大会団体優勝。全国大学選抜相撲宇佐大会団体優勝。全日本大学選抜相撲十和田大会個人第3位。全国学生相撲選手権大会団体優勝、個人準優勝である。

本人は「大学で体も大きくなったし、相撲の技術も向上しました。あの4年間があったからこそ、今こうして大相撲の世界にいられるんだと思います」と後年振り返っている

卒業後の進路は大相撲入りを選び、2人の兄が所属する荒汐部屋に入門した。2017年3月場所で初土俵を踏み、四股名は若隆景となった。これは三子教訓状で知られる戦国武将・毛利元就の3人の息子たち。その中の三男、小早川隆景に肖った四股名である。同時に兄二人も改名し、毛利隆元と吉川元春(小早川隆景の兄)から名前を取り、それぞれ「若隆元」「若元春」と名乗った。なお、「若」の字は、祖父の葉山と父の信夫から来ている。初土俵の同期には炎鵬らがいる。

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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