住所
日本、茨城県龍ヶ崎市佐貫4−17−17
その他の情報
1988年1月場所限りで現役を引退して時津風部屋の部屋付き親方となっていた年寄・13代錣山(元小結・大潮)は、1989年9月に年寄・式守秀五郎の年寄名跡を正式に取得して8代式守秀五郎を襲名した後、1992年4月に時津風部屋から分家独立して式秀部屋を創設した。かつては長男である玉光も在籍していた。
部屋の名前と師匠の通称が「式秀」となっている理由は、「式守」が行司の家名であることから区別をするために「式守」と「秀五郎」から1字ずつ取っているものである。同様の例に「木瀬」(木村瀬平)がある。
8代が旧・八幡市(現・北九州市八幡東区)出身ということもあって、毎年九州場所(11月場所)ではその地元である北九州市(当初は小倉南区、後に八幡東区)に宿舎を構えていた。八幡東区への移転後は、毎年11月に行われる「起業祭」の開催エリアに宿舎と道場を開き、ちゃんこの振る舞いや稽古の見学を出し物として出展。2003年には地元後援会有志が常設の施設として、起業祭の開催エリアに「式秀部屋相撲研修センター」を建設した。部屋関係者が宿泊しない時期は北九州市に貸し出し、地域に開放されていたが、師匠が交代した2013年春に閉鎖された。
2012年3月場所において千昇が新十両に昇進し、部屋史上初となる関取が誕生した。
2013年1月3日に8代が定年退職を迎えたため、同年1月4日付で北の湖部屋の部屋付き親方である26代小野川(元幕内・北桜)が9代式守秀五郎を襲名して式秀部屋を継承した。式秀部屋に部屋付き親方が不在だったことによる措置だが、9代は出羽海一門に所属する北の湖部屋の出身であることから、部屋継承と同時にそれまで所属していた時津風一門から出羽海一門へと転属した。
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