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千葉県松戸市出身で、佐渡ヶ嶽部屋に所属している現役大相撲力士。本名は鎌谷 将且(かまたに まさかつ)。身長188cm、体重165kg、血液型はAB型。得意技は右四つ、寄り、押し。最高位は東大関(2024年7月場所-2025年1月場所)。父は元関脇・初代琴ノ若(13代佐渡ヶ嶽親方)、母方の祖父は第53代横綱・琴櫻(12代佐渡ヶ嶽親方)。
新十両時から大関1場所目までの四股名は、父親の現役時代の四股名である「琴ノ若」を継承するとともに、祖父琴櫻傑將の四股名からも「傑」の一字を取った琴ノ若 傑太(ことのわか まさひろ)。
1997年11月19日、当時現役の幕内力士であった琴の若(当時)の長男(一人っ子)として誕生。当日は11月場所の11日目であった。協会公式プロフィールによると、相撲を始めたのは2歳の時。幼少期から祖父の琴櫻に相撲の基本を叩き込まれ、5歳から地元の相撲道場(柏少年相撲教室)に通った。幼稚園児時代から1食に卵かけご飯を含め大人用茶わん5膳の米やおかず、ちゃんこ鍋で体を作り、菓子類は好まず、午後3時のおやつはおにぎりであった。小学校時代の祖父は稽古では厳しかったが、私生活では祖父と孫であり、稽古帰りに銭湯に行ってアイスを食べながら帰るのがお決まりであった。小学4年生の時、祖父が死去したことで目標を見失ったが、幼少期に相撲大会で獲得した銀メダルを祖父に見せて「最後は誰かに負けたんだろ」と怒られたこと(後述)を思い出し、我に返った。小学生の頃から体格が良く、小学校卒業時には体重が100kgに迫った。既成ランドセルは小さくて背負えないため祖父から特注ランドセルを買って貰い、大関昇進時点でも大事に保管していているとのこと。その生育環境、相撲歴から、幼少期から必然的に角界入りすると感じていた。
松戸市立松飛台小学校を卒業後は親元を離れて埼玉栄中学校へ進学した。埼玉栄中学に進学したいと両親に伝えた際には、母が「逃げて帰ってくるようなことは、絶対にしちゃダメだからね。逃げたら、あなたの住むところはないと思いなさい」と覚悟を問うた。中学入学当初の印象を指導していた高校の恩師である山田道紀監督は「普通にポワッとした感じ」と振り返っている。入学当初は腕立て伏せもできず、まだ子供の身体であったため、山田は自重トレーニングしかさせずに基礎を磨き、中学時代は全国大会にも出場した。当初は中学卒業後の大相撲入りを考え、父が中卒叩き上げであったことと祖父が「中学卒業後すぐに入門すればもっと早く横綱に昇進した」と悔いていたことから周囲も中卒入門を強く勧めたが、中学卒業時点では大相撲で通用する自信を持てなかったため、埼玉栄高校普通科スポーツコースに進学した。高校進学後は2年生のインターハイからレギュラーとして出場。最初は山田監督も「使わなきゃよかったというレベルだった」というほど弱く、予選のみでレギュラーから外した。強くなる前の当時は、年末年始に実家に帰省した際も稽古に励む一方で、力士として大成しなかった時に備えて勉学にも励んだ。しかし、3年生になってから強くなり始めた。3年次に主将を務め、全国高等学校総合体育大会相撲競技大会を団体優勝に導き、世界ジュニア相撲選手権大会では団体戦と個人戦(重量級)で優勝した。
高校在学中の2015年10月6日に、父親が師匠を務める佐渡ヶ嶽部屋への入門を発表し、同年11月場所で初土俵を踏んだ。四股名は本名に佐渡ヶ嶽部屋伝統の琴の字を冠した「琴鎌谷 将且」で、前相撲は3連勝であった。新序出世披露では、後援者の要望を受けて父親である初代・琴ノ若の現役時代に使用していた化粧廻しを締めた。
入門した際には佐渡ヶ嶽から「これからは親子ではない。師匠と弟子だ」と告げられ、佐渡ヶ嶽は琴鎌谷に対して、親子だから特別扱いしていると思われないよう、他の力士よりも厳しく接した。入門を志願した瞬間、両親を「師匠」「女将さん」と呼び、2人には全て敬語を使うようになった。佐渡ヶ嶽部屋では幕下に上がると雑用が免除される慣例がある中で、琴鎌谷は幕下昇進後も雑用を命じられたほか、佐渡ヶ嶽と外食する機会を極端に減らされるなど、特別扱いは、寧ろ厳しさという方向においてであった。幕下の頃、怪我で稽古を休んだ際に、部屋の大関経験者である琴奨菊(後の秀ノ山親方)から「そんなんじゃダメだよ」と叱られ祖父の「けがは稽古で治せ(琴ノ若本人は、鍛え直す、けがする前よりも強固な体をつくれという意味、と解釈している)」の教えを説かれ、そこから目の色が変わり、稽古も休まなくなった。後の「琴櫻」襲名の際のインタビューでは「苦労と言われたらほぼ全部で、楽なことがなかったです」と言い切っている。
初めて番付に名前が載った2016年1月場所は、7戦全勝で序ノ口優勝とした。翌3月場所で序二段に昇進し、6勝1敗。同年5月場所と7月場所は三段目で相撲を取り、9月場所からは幕下に昇進。2017年3月場所で三段目落ちを経験したが、翌5月場所で幕下に復帰した。2019年5月場所では十両が目前の東幕下2枚目まで番付を上げて、3連勝3連敗から勝ち越しの4勝目を挙げた。場所後の番付編成会議において、7月場所での新十両昇進が決まり、合わせて、父親の現役時代の四股名である「琴ノ若」を襲名することとなり、襲名と同時に本名の「将且」から、祖父の琴櫻が名乗っていた「傑將」から一字を取り「傑太(まさひろ)」に改名することとなった。祖父、父親、子と3世代で関取になった例は史上初(ただし祖父と父は養子縁組関係)。
新十両(西十両14枚目)で迎えた2019年7月場所は、12日目までに5勝7敗と後がなくなった状況から3連勝し、千秋楽で勝ち越しを決めた。その後も順調に勝ち越しを続け、2020年1月場所にて西十両2枚目で8勝7敗の成績を残すと、翌3月場所にて新入幕を果たし、新十両から所要4場所で十両を突破した。新入幕時の番付は幕尻の東前頭18枚目で、前頭に18枚目が載るのは19枚目まであった1959年9月場所以来61年ぶりのことである。またこの新入幕は、2014年5月場所の佐田の海に続く、史上9組目・12人目の親子幕内記録となった。
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