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日本の大相撲力士。大阪府寝屋川市出身。木瀬部屋所属。最高位は西前頭筆頭(2022年3月場所)。身長176cm、体重147kg、血液型はB型。平成4年度生まれの関取を指す「花のヨン組」の1人。幕内経験後に怪我の長期休場により西序二段106枚目まで降格したが、その後再入幕を果たすという史上最低地位からの幕内復帰記録を持つ。廻しの色はピンク。珍しい決まり手を使うこともある技巧派力士。
4歳で相撲を始める。2歳年上の姉が6歳になってわんぱく相撲の試合に出場していたところ、応援に出掛けていた宇良は関係者から出場を許され、これが初めて相撲を取った経験となった。終了後に遊具で腕を骨折するハプニングもあったが、骨折の痛みで泣きながらもらった敢闘賞のお菓子に宇良は喜んだ。
相撲と並行し小学3年からレスリングにも取り組み、階級性を採っており大きな相手と戦わなくても良いレスリングに中学時代は軸足を置いていた。エンジョイ・レスリングクラブの東嗣朗代表は「タックルに失敗したら、相手に覆いかぶされる。がぶられる、と言うんですが、そうなると我慢しかない。宇良もよく耐えていた」と振り返る。低い姿勢で耐えることで腰が強くなり、隙を見て仕掛けたのが飛行機投げであり、担ぎ上げて左肩方向に落とす技で、居反りの原型になった。レスリングでは1度全国2位になった。「鼻血や突き指は、しょっちゅうでした」と東代表は語り、小4から週3回通ったクラブでの練習は1日80分で休憩は2分だけであった。このような厳しい練習で培った根性と体力も大相撲で生かされた。
レスリングでは高校の推薦が取れなかったこともあり、相撲部のある京都府立鳥羽高等学校に進学すると再び相撲中心となった。高校時代は相撲が弱かったため稽古では指名されず、他校との合同試合では「一人で体育館でトレーニングしてろ!」と、稽古場から追い出されたこともあった。土日に稽古に参加していた小学生に負けたこともあるなど、当時は大相撲力士として活躍する見込みがあるようには見えなかった。
推薦で関西学院大学教育学部に進学し、1年時に全国学生相撲個人体重別選手権65kg未満級で優勝、3年時から肉体改造に取り組んだこともあって、4年時に無差別級で3位に入った。特に3年時の和歌山大会準決勝では足取りで当時から活躍していた中村大輝に土を付け、これが注目を浴びるきっかけとなった。2013年にはロシアで開催された第2回ワールドコンバットゲームズ相撲軽量級で世界一になった。大学時代に65㎏未満級で試合を行っていたのは層が薄くて勝てるからという理由からであり、高校3年生の頃から大きくなって平常時の体重が80㎏近くになっていた当時の宇良にとって減量は過酷であった。同時に、小学校時代にあれほど欲しがっていた体重を落としている矛盾に気づき、これが大相撲で大きな相手を倒したいという気持ちにつながった。
小学校と幼稚園の教員免許を取得して卒業したが、プロ入りを決断し、2015年に木瀬部屋に入門
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