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相撲力士情報 
明生

明生

力士名
明生 力(めいせい ちから)
所属部屋
立浪部屋
本名
川畑 明生
しこ名履歴
明生
番付
東前頭十枚目
生年月日
1995/07/24
出身地
鹿児島県大島郡瀬戸内町
身長
180.0cm cm
体重
148.0kg kg
得意技
左四つ・寄り

その他の情報

鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で、立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名は川畑 明生(かわばた めいせい)。身長180cm、体重148kg、血液型はO型。最高位は西関脇(2021年9月場所)。好物は鶏飯。嫌いなものはトマト、果物。お気に入りのリラックス方法はガム。同部屋の浪満力は再従弟。

相撲が盛んな土地で相撲好きの父親の下に生まれた川畑少年は、5歳の時に地元の相撲道場に通い始めた。しかし、瀬戸内町立篠川小学校に入学したばかりの1年生の頃に道場は活動停止となり、一旦は相撲を離れることになった。しかし、2年生の終わりから隣町の相撲道場(古仁屋相撲クラブ)へ移籍して相撲の稽古を再開すると相撲漬けの日々を送るようになった。家族や周囲の人間の存在を励みに稽古を重ねて3年生の頃には力士を志すようになり、6年次の全日本小学生相撲優勝大会では優勝の実績を持っている。しかし、瀬戸内町立篠川中学校在学中は全国大会出場経験はあってもタイトル獲得などの実績が無かったことで、プロでは通用しないかもしれない不安を抱え高校進学を検討したこともあったが、父親に一喝されて大相撲入りの決意を固めた

時は大相撲八百長問題などの不祥事に揺れた頃であり、新弟子検査を受けても初土俵を踏むはずの本場所が中止になっている頃であったが、立浪部屋に入門し、2011年5月技量審査場所で初土俵を踏んだ。

入門したばかりの頃、不祥事を受けて引退した猛虎浪から学び、本人も十両昇進時に「あの人の口癖は『我慢』でした。稽古も我慢できる人が強くなる。我慢すれば見えてくるものもありました」と振り返っている。同期生には千代大龍、照ノ富士、常幸龍ら高校・大学を卒業した同期生も多い中で前相撲は2連勝の一番出世を決める。その後も三段目初昇格の場所こそ負け越したが、入門から2年足らずで2013年1月場所では早々と幕下昇進を決める順調な出世となった。しかし腰のヘルニアを患い幕下に定着することはできず、1年半ほどは三段目との往復をしばらく続けた。ヘルニアを理由に引退しようとも思っていたが、父からは「そんなもんか。好きにしろ! やめたら家には戻ってくるなよ!」と突き放され、心が折れそうになった時は「気持ちが弱いんだ!」と叱責された。その後健康な肉体を取り戻し、独学で食事法やプロテインの摂取法を学んだ結果として体重を増やすと2014年5月場所に三段目で6勝1敗の大勝ちをしたのを最後に幕下へ定着。

同年11月場所では幕下15枚目以内の番付も経験した。この頃には「10代で関取」を目標として掲げていたが、20歳を迎える2015年7月場所を幕下で負け越し、目標は達成できなかった。それでも親孝行をすることをモチベーションに2016年は3月場所から連続で勝ち越した。同年8月の夏巡業には一門の総帥である貴乃花巡業部長の付け人として帯同し、部屋には1人もいない関取衆とも稽古を積んだ。直後の9月場所は東幕下3枚目の地位で迎え、最後の相撲となる14日目の十両・朝弁慶戦に勝って4勝3敗の勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で翌11月場所の新十両昇進が決定した。新十両昇進会見では、何度か出稽古に行った先である伊勢ヶ濱部屋で、行くたびに日馬富士から声をかけられたことについて語っており、「チャンスは誰にでもある。ただ何回もやって来るものじゃない。次に、いつ来るかも分からない。来たチャンスを自分でつかみなさい」と言われたことが関取昇進につながったという

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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