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その他の情報
山梨県甲府市出身で高田川部屋所属の大相撲力士。本名は渡邊 裕樹(わたなべ ゆうき)。身長189cm、体重150kg。血液型はAB型。好物は信玄餅。左四つ、両差し、寄りを得意技とし、最高位は西小結(2019年7月場所)。好物はハンバーグ、麺類(特にパスタ)。
兄の影響で小1から柔道を始める。小学校卒業後は、柔道の強豪であった隣の甲斐市にある竜王中に進学し、柔道に取り組んでいた。
中学2年の時に身長は180cmあり、柔道部の1年後輩で後に竜電の付け人となった勝武士をスカウトしようと中学校にやってきた9代高田川(当時・16代千田川)に勧誘される。これは他に「もう一人体の大きな子」がいると校長が勧めたことによるものだった。それまで相撲については全く知らず、柔道での高校進学の誘いもあったが、親方の「男の中の男になれ」という言葉に胸を打たれ、中学3年の夏に入門を決意した。
「兄は結構強い選手で有名だったから、自分は『相撲で有名になろう』という気持ちがあった。中学の時は、柔道で伸び悩んでいる感じもあったので」とも述べている。しかし中学3年の10月には自身も柔道の県大会で優勝している。
中学卒業後の2006年3月場所に高田川部屋から初土俵。同期には栃ノ心、境澤、政風らがいる。四股名は出身校の「竜王中」と、雷電爲右エ門から取ったもの。
とんとん拍子で、初土俵から2年後の2008年3月場所で新幕下へ駆け上がったが、2勝5敗と大敗。2度目の幕下となる同年11月場所でも3勝4敗と負け越しを喫した。
翌2009年1月場所は初日に黒星を喫した後は6連勝し、勝ち越し。その後も幕下で取り続け、同年7月場所では6勝1敗と好成績を残し、優勝決定戦まで進出したが、翌場所新十両となった双大竜に敗れる。同年9月場所では幕下46枚目から19枚目まで躍進し、4勝3敗。11月場所では自身最高位となる幕下15枚目で5勝2敗という好成績を残した。同い年である千賀ノ浦部屋の舛ノ山(ただし入門は2場所後)と共に、初の平成生まれの関取候補として、また近年では珍しい叩き上げの日本人力士ホープとして注目を浴びていた。
師匠の9代高田川は「将来は横綱にする」、また相撲教習所の顧問だった14代中立や17代大嶽(当時・19代山響)の両親方からは「素直で真面目。人の話を良く聞いてやろうとする姿勢が見える。強くなりたいという意思がある」という高い評価を受けている。
しかし、この期待を受けた矢先の2010年1月・3月場所は2場所連続で負け越し失速。特に同年3月場所の貴ノ岩戦では頭から土俵に落ちて脳震盪を起こし、車椅子で運ばれるという屈辱を味わった。この負け越しにより同年年の十両昇進はほぼ絶望的となった。
一時は幕下下位まで番付を落とし、この間に2010年11月場所新十両の髙安、舛ノ山を筆頭に、数名の平成生まれ力士が十両に昇進。部屋の弟弟子である達(当時)に初めて番付で追い越された。
このことも一因で発奮し、2012年9月場所は東幕下12枚目の地位で7戦全勝とし、幕下優勝を決めた。この好成績により、翌11月場所での新十両昇進が決まった。この昇進により竜電は、1990年5月場所で十両に昇進した元十両秀ノ花以来22年ぶりの山梨県出身関取となった。更に、高田川部屋を9代高田川(安芸乃島)が継承してからは初めての関取誕生となった。
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