相撲部屋情報 
高砂部屋

高砂部屋

部屋名
高砂部屋
師匠
高砂 浦五郎 (たかさご)
しこ名
関脇 朝赤龍 (あさせきりゅう)
所属力士数
22 名

住所

日本、東京都墨田区本所3−5−4

その他の情報

明治初期に角界の改革を求めて活躍した初代高砂浦五郎が一代で角界を代表する大部屋に育て上げ、現在までに横綱6人・大関8人を輩出するなど、角界屈指の名門部屋として知られる。

初代高砂(高見山大五郎)は角界の改革を求めて高砂改正組を組織し、東京相撲会所を脱退した。帰参後はもともと江戸相撲にあった「高砂」という名跡と重複する形となり、1889年に旧・高砂が高島へと改名し、新・高砂は名前は代々の通り名として「浦五郎」と名乗ることとなった。2代高砂から現在の7代高砂までは、初代高砂の名の「浦五郎」を継承している。

1986年5月には部屋経営を断念した大山部屋を吸収合併した。1988年10月に5代高砂(元横綱・3代朝潮)が急逝したため、高砂部屋の部屋付き親方である14代尾上(元小結・富士錦)が6代高砂を襲名して高砂部屋を継承した。

6代高砂の定年退職を間近に控えた2002年2月に、高砂部屋から分家独立して若松部屋を継承していた11代若松(元大関・4代朝潮)が名跡変更して7代高砂を襲名し、高砂部屋と若松部屋が合併した。2001年には明治時代から続いた幕内力士が部屋から途絶えるという事態となったものの、その後は横綱・朝青龍を筆頭に、関脇・朝赤龍や小結・闘牙など多くの関取を擁して一大勢力を築いた。

しかし、2000年代中期に闘牙や泉州山・皇牙といった関取経験者が相次いで引退し、2010年には朝青龍も不祥事により引退して、関取は朝赤龍と2015年11月場所において新十両へ昇進した朝弁慶の2人のみとなった。そのため2000年代後半以降は部屋の勢力が急激に衰えながらも、1927年の東西相撲協会の合同以来、2016年11月場所まで90年間関取を絶やしたことのない部屋であった。

しかし、朝弁慶が2016年11月場所で幕下に陥落し、朝赤龍も次の2017年1月場所で幕下に陥落したため、1878年の部屋創設以来、初めて関取不在となった。同時に、継続中のものとしては最長だった関取継続の記録も138年で止まった。その後、朝乃山が新十両を果たし、関取不在は一場所で解消している。

2020年11月26日、7代高砂の停年を間近に控え、部屋付きの親方となっていた17代錦島(元関脇・朝赤龍)と名跡を交換し、7代高砂は18代錦島、17代錦島は8代高砂をそれぞれ襲名し、8代高砂は同日付で部屋を継承した。4代以降、高見山を始め外国人力士を多く迎えている高砂部屋にとって、初の外国出身の親方が部屋を運営することになった。

昭和以降においては、高砂部屋からは大山部屋(後に高砂部屋と合併)・若松部屋(現在は高砂部屋と合併)・振分部屋・高田川部屋・東関部屋(現在は八角部屋と合併)・中村部屋(後に東関部屋と合併)・錦戸部屋が分家独立を果たしている。なお、現在の高砂部屋は合併前の若松部屋の建物を引き続き使用しており、6代高砂時代の部屋の建物は2004年2月まで錦戸部屋、同年9月からは常盤山部屋(旧千賀ノ浦部屋)が使用していたが、常盤山部屋は2021年2月に板橋区に移転した。2021年5月場所後には立浪部屋が同地に移転する予定。

伝統的に稽古土俵は俵を使わず、浅く掘り下げた「皿土俵」と呼ばれる仕様を採用している。怪我の防止のためとされ、分家である東関部屋や錦戸部屋にも受け継がれている。

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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