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祖父が草相撲の強豪だった縁で、幼稚園の頃から地元の中泊道場で相撲を始めた。わんぱく相撲全国大会では、小学校4年時に個人ベスト8と団体優勝、5年時に個人3位を経験した。小学校卒業後は、同じ青森県内のつがる相撲クラブ(現・つがる旭富士ジュニアクラブ)に移籍するため、地元を離れてつがる市立木造中学校に進学。中学校3年時に全国都道府県中学生大会個人3位、全中個人ベスト8、白鵬杯団体優勝・個人3位の実績を残した。
中学校卒業後は鳥取城北高等学校に進学。高校の同期にはアマルトゥブシン・アマルサナー(後の狼雅)らがいる。1年時に金沢大会で個人8強の実績を残すが、2年時の金沢大会で左膝前十字靱帯を断裂した。3年時は全国高校総体個人3位、選抜高校相撲宇佐大会個人3位となったが、秋の国体個人準決勝で納谷幸之介(後の王鵬)に敗れた時に再び左膝を負傷し、3位決定戦は不戦敗となった。
高校卒業後は日本大学法学部政治経済学科に進学し、日本大学相撲部に入部。大学の同期には川副圭太(後の輝鵬)、大谷真惟らがいる。2年時に全日本大学選抜金沢大会準優勝、全国学生体重別大会135キロ未満級準優勝、全国学生選手権団体優勝などの実績を残すが、全国学生選手権団体決勝戦で今度は右膝を負傷した。その後は、3年時に全国学生選手権団体優勝、4年時に全国学生相撲個人体重別選手権大会無差別級16強となった。2022年春に日本大学を卒業した。
2022年8月16日に記者会見を開き、大相撲の伊勢ヶ濱部屋に入門することを発表した。伊勢ヶ濱部屋師匠の9代伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)は青森県出身のため毎年同県内で合宿を行っており、石岡は中学生時代から部屋との交流を持っていたことに加え、9代伊勢ヶ濱や、部屋所属で高校の同窓生でもある横綱照ノ富士からは中学生時代より目をかけられていたこと、照ノ富士は膝の怪我などで大関から一時は序二段まで番付を落としてから横綱まで上り詰めた経歴を持つことも、入門を後押しした。2022年9月場所で前相撲から初土俵。同期生には輝鵬(幕下15枚目格付出)らがいる。なお、新弟子検査受検時点で23歳であったため、入門に当たっては年齢制限緩和措置が適用された。
初めて番付に名前が載った2022年11月場所は、6番相撲で幕内経験者の旭大星を破るなど7戦全勝で序ノ口優勝。続く2023年1月場所も7戦全勝で序二段優勝を果たした。三段目に上がった3月場所は4番相撲で東俊隆に敗れ初土俵からの連勝が17で止まったが、6勝1敗として5月場所では新幕下となった。
幕下4場所目となった2023年11月場所は、勝ち越せば関取昇進の可能性の高い西幕下筆頭まで地位を上げた。「自分の相撲を取るだけ。十両とやりたい」と抱負を語った。初めて髷を結って迎えた同場所は9日目の5番相撲で對馬洋に勝って4勝目を挙げ、勝ち越しが決定するとともに、十両の力士の成績との兼ね合いから、新十両昇進が決定的と報じられた。11日目の6番相撲の千代の海戦で叩き込みにより白星を得た際は、報道各社が新十両昇進確実、あるいはほぼ確実と報じた。最終的に、この場所を6勝1敗の成績で終えて、場所後に行われた番付編成会議により、2024年1月場所での新十両が決定した。
新十両会見では年下の熱海富士に先を越されたことについて「悔しい気持ちになった。自分も早く優勝争いをしたい」と言いつつ「自分の持ち味、立ち合いをもっと強化していく。やるしかないという思い」と意欲を持った。伊勢ヶ濱は「まだやらないといけないことが多い。青森(の人)は横綱にならないと認めてくれないよ」と冗談も交えて期待を寄せた。2024年1月場所は初日から絶好調で、この場所の十両で唯一となる中日勝ち越しを決めた。新十両中日勝ち越しは1場所15日制定着となった1949年以降史上8人目。14日目の千代栄戦で押し出しにより12勝目を挙げ、千秋楽を待たず十両優勝が決定。千秋楽も勝利し、新十両の場所は13勝2敗で取り終えた。
翌3月場所で新入幕を果たす。初土俵から所要9場所での新入幕は、年6場所制となった1958年以降の初土俵(幕下付け出しを除く)としては常幸龍と並ぶ史上最速タイのスピード出世、新十両から1場所通過は史上7人目となった。新入幕会見では「記録で満足しているようでは先は見えない」とした上で、1月場所で部屋の横綱の照ノ富士が幕内優勝を達成し、十両優勝した自身がパレードの旗手を務めたことを指して「自分でもいつかこの舞台で、最高の景色を見てみたいなという思いになりました」と幕内優勝を目指している旨を語った。
この3月場所は中日勝ち越しを決めたが、新入幕力士の中日勝ち越しは2011年5月技量審査場所の魁聖以来、中日時点で新入幕力士が優勝争い単独首位は15日制定着となった1949年5月場所以降初。また、11日目には大関・琴ノ若を寄り切りで破り元横綱・大鵬以来64年振りである新入幕力士としての初日からの11連勝を果たした。12日目の大関・豊昇龍戦で敗れ初日からの連勝はタイ記録の11でストップしたが、12日目終了時点で11勝1敗と依然として単独トップ。14日目の朝乃山との一番に敗れた際右足を負傷したものの、千秋楽に出場、豪ノ山を押し倒しで破り、1914年(大正3年)5月場所の両國以来110年ぶりとなる新入幕での幕内最高優勝を果たした。
ちなみに十両優勝の翌場所に幕内最高優勝を果たしたのも両國以来2人目である。なお、大銀杏を結えない力士の優勝は初めて。 また、併せて殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞も同時に受賞した。同一場所で三賞すべて受賞するのは2000年11月の琴光喜以来約24年ぶり6人目、新入幕力士では1973年9月の大錦以来約51年ぶり2人目である。また、青森県出身力士の幕内優勝は、1997年(平成9年)11月場所の貴ノ浪(三沢市出身)以来約27年ぶりとなったほか、津軽地方出身力士の優勝は1991年(平成3年)5月場所の旭富士(木造町(現:つがる市)出身)以来33年ぶり、五所川原市出身力士の幕内優勝は1934年(昭和9年)5月場所の清水川以来90年ぶりとなった。 なお新入幕場所での勝利数13は1場所15日制が定着した1949年5月場所以降では、1964年1月場所の北の冨士、1967年3月場所の陸奥嵐、2014年9月場所の逸ノ城と並ぶ1位タイ記録である。場所後の春巡業は全休。
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