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モンゴル国ドルノド県セレグレン村出身の現役大相撲力士。陸奥部屋所属。本名はビャンブチュルン・ハグワスレン(モンゴル語キリル文字表記:Бямбачулуун Лхагвасүрэн)
2023年5月場所後の大関昇進まで名乗った旧四股名は霧馬山 鐵雄(きりばやま てつお)。身長186cm、体重139kg、血液型はO型。最高位は西大関(2023年7月場所)。強いスタミナと足腰で知られる。
ドルノド県で羊を飼育する遊牧民の父の下に生まれる。幼い頃から父親の仕事の手伝いで1日30kmの乗馬を行うなど、自然と足腰が鍛えられた。井戸からの水くみも1日に数十往復したことが相撲の摺り足と同様の効果をもたらした。
2014年に知人から日本で力士になるテストに誘われ、興味本位で何となく訪日する。同じテストを受けるためにモンゴルから日本を訪れた4人とともに陸奥部屋で稽古した。柔道経験はあったが、相撲経験はなかった。当時の身長は180cmを超えていたが、体重は70kgに満たない細い身体であった。陸奥親方は「5人の中で一番センスがあった」と回想する。陸奥親方は当初、日本出身ではない力士を弟子にする意向は無く、後援者らの依頼を受けて試験的にモンゴルから5人を受け入れた。言葉が通じない者を最初から指導することは相当な覚悟を要するため、陸奥親方はモンゴル出身者を受け入れることに消極的であった。
陸奥親方が部屋に5人のモンゴル人を体験入門させてから1か月ほどが経った頃、後援者からの催促もあり「親孝行がしたい。将来は日本に両親を呼びたい」と述べるハグワスレンを弟子として受け入れることを決断した。陸奥は「私の言うことが聞けなければ辞めてもらう」と厳しい態度で迎え入れた。ハグワスレンは2015年2月28日の新弟子検査を受けて合格し、興行ビザの取得を待って同年5月場所で初土俵を踏んだ。2015年5月場所初土俵の同期生に千代の海がいる。新弟子が通う相撲教習所では、相撲未経験ながら、大輝や宇良ら学生相撲出身でのちに幕内まで上がる力士らを相手に、堂々と渡り合う。入門後の稽古を見ていた陸奥は改めて「黙っていても幕内、三役にいく」と確信する。
大関昇進まで名乗った四股名の「霧馬山」は、師匠の陸奥の現役時代の四股名である霧島から「霧」を、モンゴル時代は遊牧民だったことに因んだ「馬」を入れ、部屋が所属する時津風一門の時津風部屋創設者である双葉山から読みの「ばやま」をそれぞれもらっており、期待がうかがえる。
序ノ口、序二段は各1場所で通過し、三段目に昇進した同年11月場所は7戦全勝で三段目優勝を果たした。2016年1月場所で幕下に昇進。同年5月場所後の稽古中に左膝内側側副靭帯部分断裂の重傷を負い、7月場所は自身初めての休場となって三段目へ陥落したが、1場所で幕下へ復帰し、11月場所以降は幕下に定着した。2016年5月場所の怪我は通常なら力士生命に関わるほどであったが、陸奥部屋後援会会長の室谷正明は「専門の医師が驚くほどの治癒能力。日本人の3倍はあるとかいわれ、回復が早い。育った環境もそうですが、持って生まれた特性でしょう」と証言している。2017年9月場所は、左手の小指付近を手術した直後だが強行出場するも、最初の取組みで敗れて2番目以降を休場する。
兄弟子の幕下・大日堂は「基本、優しい。付け人にもあまり怒らないし、感情的にならない」「メリハリは昔からあった気がします。やらないときはやらないけど、やるときはやる。あと本当に素直。言われたことはちゃんとやる」と霧馬山の若手時代を振り返った。
日本の生活に不慣れな様子は、陸奥の不安が的中した。野菜や魚を一切一切受け容れず硬い肉しか食べられない、日本語が理解できないなど、相撲部屋での生活に適応できずホームシックになったこともあったが、ステーキを500g食べた後で300g追加するなどの努力を重ねた結果、入門から1年間で体重は20kg増えた。
2018年5月場所は、西幕下35枚目の地位で7戦全勝とし、自身初めての幕下優勝を果たす。翌7月場所は十両目前の西幕下3枚目まで上がったが、最後の相撲で負け越して十両昇進を逃した。西幕下筆頭となった2019年1月場所は、最初の相撲で十両力士と対戦して敗れるも、2番目から4連勝して勝ち越しを決め、十両昇進を確実な状況とした。場所後の番付編成会議で、正式に3月場所での新十両昇進が決定した。陸奥部屋からの新十両誕生は、2008年1月場所の霧の若以来、約11年ぶりのことだった。入門当初、師匠から「関取になるまでモンゴルに帰るな」と命じられたが、その約束を果たした格好となった。
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