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岩手県盛岡市出身で、伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。本名は熊谷 徹也(くまがい てつや)。身長185cm、体重166kg、血液型はA型。最高位は最高位は東小結(2023年9月場所)。好きな酒は芋焼酎。
父は国体相撲に3回出場した実績のあるアマチュア相撲選手であった。盛岡市立米内中学校時代は卓球部でエースを務めていて、この頃からトレードマークの眼鏡をかけていた。卓球の他に、小学2年生の頃から中学時代まで草野球を行っていた。野球ではポジションはキャッチャーで打順は4番であったといい、本人いわく「肩は良かったんですよ。コントロールは悪かったですけどね(笑)」。小学校時代に野球でチームが菊池雄星と対戦したことがあり、2019年3月場所中の支度部屋で本人は「今は職種が全く違うけど、とにかく頑張ってほしい」とMLBデビューを果たした菊池にエールを贈るコメントをしていた。中学には野球部がなかったため自分が発起人になって創部しようとしたが、サッカー部が強いのでグラウンドが取られてしまって断念した。
中学を卒業して伊勢ノ海部屋に入門し、2006年3月場所で初土俵を踏んだ。同じ岩手県出身で地元の盛岡市に隣接する花巻市出身の四ツ車の話を先代伊勢ノ海から聞かされて自分も関取になろうと思い立ったという。同期生には栃ノ心、松鳳山、境澤、竜電、政風らがいる。前相撲は三番出世。
2012年7月場所から、それまで本名のままとなっていた四股名を「錦木」と改めた。「錦木」は一見すると普通の苗字のような感じがあるため、彼が本名力士であると誤解する者も多いが、この「錦木」というのは文化年間に伊勢ノ海部屋に所属していた大関力士の名前で、のちの初代二所ノ関となった、錦木塚右エ門(現在の岩手県北上市出身)に肖った由緒ある四股名である。錦木塚右エ門と同じ岩手県出身であった縁からもこの四股名に改名することとなった。先述の2代目塚右エ門を含め錦木を名乗る力士は過去に6人存在するため、彼は「7代目錦木」となる。本人は伝統の四股名を貰ったのでおめおめと盛岡には帰れないと、絶対に関取にならなければいけないと覚悟した。改名した場所で6勝1敗の好成績をあげ、翌場所は1勝6敗となるも、次の11月場所では、土付かずの7連勝とし、幕下優勝を決めた。
2014年9月場所は場所前に左足首痛でほとんど稽古ができなかったものの、出足が好調で5勝2敗の勝ち越し。この場所から5勝2敗の成績が続き、2015年3月場所は西幕下2枚目まで番付を上げ、7日目を終えて2敗を喫したが11日目に勝ち越しを決め、14日目は西十両14枚目の希善龍と対戦し、吊り出しで破り(敗れた希善龍は負け越した)5勝目を挙げた。これにより場所後の番付編成会議にて、同年5月場所での十両昇進が決定した。
「錦木」の四股名での関取は、1874年3月まで錦木繁之介を名乗った大淀谷五郎以来、141年ぶりのことである。岩手県出身としては四ツ車以来およそ6年ぶり、盛岡市出身としては実に63年ぶりの関取誕生であった。
新十両昇進会見では「確定と言われていたけど、本当に上がるか分からなかった。ドキドキしてました。今日、みんなから教えてもらって、やっぱりうれしかった」と笑みをこぼし「実家はあまり被害はなかったんですけど、沿岸部は大変だと思っていたので、被災地復興のためにも元気が出るような相撲を取っていきたい」と東日本大震災の被災者への思いも語った。
新十両の場所は西十両13枚目で9勝6敗と勝ち越した。7月場所は5勝10敗と負け越し、9月場所は東十両14枚目まで下がるが、ここから勝ち越しが続き、2016年3月場所は西十両2枚目まで番付を上げた。この場所は10勝5敗の成績で続く5月場所で新入幕となった。
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