相撲部屋情報 
宮城野部屋

宮城野部屋

部屋名
宮城野部屋
師匠
宮城野 翔(みやぎの)
しこ名
横綱 白鵬 (はくほう)
所属力士数
20 名

住所

東京都墨田区東駒形4-6-4

その他の情報

もともとは明治時代に創設された部屋で、大正時代には横綱・鳳を育てた。1916年5月、鳳が二枚鑑札で7代宮城野を襲名。1920年5月場所限りで現役を引退、年寄専任となって宮城野部屋を継承し幕内・古賀ノ浦などを育てたものの、1956年11月に逝去したために部屋は閉鎖された。この時在籍していた7代の娘婿である幕内・福ノ里は高嶋部屋へ移籍した。

その後、高嶋部屋に所属する横綱・吉葉山が、1958年1月場所限りで引退して一代年寄・吉葉山を襲名すると同時に自身が主宰する吉葉山道場を創設(同時に福ノ里も吉葉山道場へ移籍)する。1960年に名跡変更を行い8代宮城野を襲名、部屋名が宮城野部屋に改称された。8代は関脇・明武谷や陸奥嵐、小結・廣川など数多くの関取を育て上げた。

1977年11月に8代が逝去したため、同年12月に部屋付き親方である10代東関(元小結・廣川)が9代宮城野を襲名、部屋を継承した。1980年9月には東京都墨田区横網から同区緑へ移転した。9代は先代の弟子から幕内・竹葉山や港龍などといった関取を育て上げた。

1989年6月に9代が急逝し、部屋付き親方である10代中川(元幕内・竹葉山)が10代宮城野を襲名、部屋を継承した。10代は先代の弟子から幕内・光法や十両・若隼人を、自身の直弟子からはモンゴル出身の白鵬を関取として育て上げた。

2004年8月26日に北の湖部屋(出羽海一門)の金親が、9代宮城野未亡人と養子縁組を行った後にその次女と結婚し、同時に現役を引退して、11代宮城野を襲名して部屋を継承、それまで師匠を務めていた10代は15代熊ヶ谷を襲名して再び部屋付き親方となった。11代が師匠に就任していた時期には、白鵬が横綱へと昇進しているほか、先代からの弟子であるモンゴル出身の龍皇が関取へ昇進した。

2007年5月に「11代宮城野が知人の女性に対して『(白鵬が初の綱獲りに挑戦した)2006年7月場所で横綱・朝青龍ら4人に計900万円を支払って白鵬に勝たせるよう依頼した』と語った」という内容の記事が講談社『週刊現代』に掲載された。日本相撲協会は名誉棄損として『週刊現代』を訴え、その裁判自体は協会側が勝訴したものの、11代宮城野の言動が協会の品位を傷つけたものであるとして、2010年12月24日の理事会において、11代宮城野に対して師匠の交代(15代熊ヶ谷と年寄名跡交換)を勧告した。11代宮城野は勧告を受け入れ、12月27日に15代熊ヶ谷が12代宮城野として再び師匠に就任し、11代宮城野は入れ違いに16代熊ヶ谷を襲名して部屋付き親方となった。2012年9月場所には大喜鵬(のち山口)が新十両へ昇進し、12代が師匠に再就任して以降では初となる関取が誕生している。

2015年9月10日、部屋の耐震構造上の問題を理由として墨田区緑から同区八広へと新たに移転した。

2015年9月2日、16代熊ヶ谷が自身の付き人を務める男性を金属バットで殴打して全治約2週間の怪我を負わせたという傷害容疑で警視庁に逮捕され、同年10月1日には協会からの解雇処分を受けた。

2016年12月13日には、12代と初土俵が同期だった13代高島(元関脇・高望山)が追手風部屋より転属して部屋付き親方になった。

2020年7月13日には、15代中川の懲戒処分により閉鎖された中川部屋から力士1人と世話人の白法山が転籍した。

 

ウィキペディア(Wikipedia)より

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